『現実作り』の巡礼路 2

『顔の無い都市』のミクは、あるときこう言った。

 

「人にはね、想像することで、平凡なものを物語化する力があるんだよ。例えば、巡礼路だって、元々平凡な道だったのに、大勢の人がお寺を目指して何百年もかけて歩いたことで、だんだん巡礼路になったのでしょう。巡礼路の中には、今ではすっかり舗装されちゃって、トラックの走る国道になってる部分もあるかもしれない。

じゃあ、現代人の私たちは、巡礼路を失ってしまったの?

ううん。そうじゃない。舗装された現代の道だって、何日もかけて自分の足で歩けば、だんだんイマジネーションが吹き込まれ、物語化され、やがてかつての巡礼路の姿を取り戻すと思うの。平凡な道も、やがて巡礼路に異化されると思うの。

これが、たとえばタクシーで移動してしまったら、物語が熟成する余裕がない。だから、期待して聖堂まで来たとき、絵葉書の売店やらビーチサンダル姿の家族連れやら、アイスクリームスタンドを横目に、「これが有名な聖地なのか? 単なる観光地じゃん」と、白けきった自分に気がつくことになる。その人にとって、その道は日常的な道のままで、結局、巡礼路には異化されなかったんだね。

 一方、全く同じ道でも、ある人にとってはそれが巡礼路に変化する。うんうん汗を垂らしながら、自分の足で毎日毎日、何日間も歩きながらイマジネーションを吹き込んだ道は、やがて平凡な道から神聖な道に異化されるの。その人がお寺にたどり着いたとき、聖堂は古人が見た本当の姿を取り戻していると思うの。

 

つまりね、たとえ舗装され、巡礼路の姿を失った現代の道でも、イマジネーションを吹き込むことで、物語化され、再び巡礼路の姿を取り戻すことがあるんだよ。そして、日常生活だって、同じ事が起っているんだよ?

わ~か~った?」 

 

『顔の無い都市』のミクは、物知り顔でそう言って、歳のわりに幼いお顔の前で人差し指を振ってみせるのでした。