『現実作り』のやり方

(カレンダーは秋から冬へ)
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東山魁夷画伯のカレンダー。部屋に飾ると仏画のような不思議な落ち着きがある。
 

『現実作り』とは、幻想の存在(人形でもアイドルポスターでも仏像でもいい)との間で約束しては守り、現実世界(自分)と幻想世界(人形)との間で不断にエネルギーの交換を繰り返す実験です。そこで生じたエネルギーを、木彫りの熊なり仏像なり人形なり、自分がこれだと思った偶像の中に貯蔵します。

『現実作り』は、半現実半幻想の作業です。トイレの便器を磨くのも、受験勉強も、それを自分の『現実』として設定するならば、『現実作り』になります。

『現実作り』をするためには、現実世界のニュースやら噂やら不安やら憎悪やら幸運やら欲に引っ張られてはなりません。それでは、手元の作業は現実世界に縛られてしまい、いつまでたっても日常作業に留まってしまい、『現実作り』にまで異化されないからです。

ある作業が『現実作り』に異化されるのは、現実の不安や焦りや欲や幸運などを忘れ去って、ただ幻想の存在と自分とで向き合って、自分の世界に没頭したときです。

現実世界に身を置く自分は、幻想世界に飛んでいくことはできません。そこで、現実と幻想を自由に行き来できる依代(よりしろ)を準備します。私の場合、それがPiPiちゃんです。そしてお人形の中に、自分の黒い混沌とした無意識のうちの一点の光を投影します。『現実作り』をすることは、不安や欲や憎悪や噂や一時の幸運に惑わされず、その光を追いかけることでもあります。

現実世界を遮断し、依代と自分との関係に集中し、自分の作業に没頭したときに、その作業は『現実作り』になります。

しかし、孤独に身を置ける状況ならば比較的容易ですが、是が非でも人と交わらざるを得ない社会の人となれば、なかなか『現実作り』に没頭できないかもしれません。

 

 

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 と、ここまで書いてみると、なんだか素人宗教めいて参ります。ただ、自分にとって、現代日本のアニメ顔したお人形やフィギュアが仏像代わりになるというのは、とても暗示的で興味深いことであります。